山本こどもクリニック

【山本こどもクリニック】浜松市東区の小児科,アレルギー科,呼吸器科

〒431-3125 静岡県浜松市東区半田山4-41-5
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予防接種こぼれ話

BCGは結核が重症化するのを防ぎます。

 結核は、かって日本の国民病といわれた感染症です。
 戦国時代の武田信玄、竹中半兵衛、新選組の沖田総司や、俳人の正岡子規 歌人の石川啄木、小説家 樋口一葉は結核で亡くなっています。1949年には13万人の死者があり、死亡順位の1位でした。1917年から国立の結核療養所が開設され、後に国立病院となりました。
 アニメ監督の宮崎駿は、お母さんが結核でした。映画「となりのトトロ」のお母さんが結核療養所のような病院に入院しているのは、その面影かもしれません(私の想像です)。
 1944年に特効薬のストレプトマイシンが発見され、結核は薬でなおせる時代になりました。しかし耐性菌もでて、新薬の開発との競争が続いています。日本は、まだ結核の流行国です。乳幼児では、結核菌が脳に回りやすく、治療が間に合わず早く重症化しやすいので、BCGで重症化を予防する必要があります。(平成20年記)

 

昭和35年から36年のポリオ撲滅キャンペーンと主婦が実現させたポリオワクチン

 ポリオは、足がマヒし、時には呼吸もマヒして死亡する病気で、治ったあとも足のマヒがのこって、小児マヒとよばれました。
 ノーベル賞をとった小柴昌俊さんは、中学1年の時にポリオにかかり、朝目がさめると体が動かなくなっており、その後歩くことも不自由な状態からリハビリをし、マヒが残ったため、軍人になるのをあきらめて、研究者になったと言います。歌舞伎の坂東玉三郎さんや泉谷しげるさんもこどもの頃にポリオにかかって、少しからだがご不自由です(玉三郎さんについてはNHKテレビ「プロフェッショナル」、泉谷しげるさんはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で知りました)。
 昭和35年(1960年)には大流行して5千人の患者がでました。当時、NHKが全国の支局を総動員して、毎日のポリオ患者数を「ポリオ日報」として報告しました。母親代表がワクチン接種を求めて厚生省に押し寄せました。これを受け池田勇人総理大臣と大平正芳官房長官は、東西冷戦のまっただなかで国交のなかったソ連に交渉し、ソ連からワクチンを緊急輸入しました。ソ連は1,300万人分の生ワクチンを1週間の不眠不休で製造し、冷凍空輸したのです。国内は冷凍輸送ができず、解凍して効力の落ちる前の24時間以内に全国に届けるのに大変な苦労があったそうです。
 1961年に12歳以下の全員に投与したワクチンの効果は劇的で、ポリオが急に減少して、当時を経験した私の先輩小児科医は「ワクチンの効果にとても驚いた」と語っていました。
 現在は日本国内にポリオ患者はない状態を維持しています。(平成20年記)

 

3種混合ワクチンを中止すると百日咳で死亡する人が増える。

 百日咳は、乳幼児では、呼吸が止まって死亡する危険のある病気です。1945年の日本では、百日咳の死亡者が1万7千人もありました。
 1948年から予防接種が開始されると、1965年には百日咳の死亡は10人以下に激減しました。
 1974年に、ワクチン接種後に亡くなった方が2名あり、ワクチンと関係があるかもしれないと、1975年に予防接種が1年間中止されました。その後予防接種をする人が減りました。すると1975年~1979年に百日咳の大流行がおこり、3万人の患者と113名の死亡者がでました。
 私も、1980年代に、目の前で呼吸が止まって人工呼吸を必要とした百日咳の子供を4人診たことがあります。幸い、いずれも救命できましたが、新生児の呼吸管理とはまた別の難しい治療でした。
 1981年には、副反応の少ない改良3種混合ワクチンが開始されました。その後はほとんどの人が予防接種をするようになり、現在は年間数人以下の死亡者です。(平成20年記)

 

ジフテリアはどんな病気ですか?

10人に1人が死亡したジフテリア。
ジフテリアは、ジフテリア菌によって、発熱、嘔吐、頭痛、嗄声、犬吠様咳嗽となり、ひどい扁桃炎になって膜がのど全体をおおいます。膜が声門、気管支までひろがると窒息してしまいます。さらに恐ろしいのは毒素による心筋炎で発病2~3週後に突然に死亡することがあります。また毒素により神経マヒがおこります。
  
 治療には動物(ウマ)由来の血清療法が行われますが、この治療により、予測不能なショック症状およびショック死の可能性もあります。
1925年にアラスカでこのジフテリア抗血清を犬ぞりで運んだ話は有名で、これを記念して、アイディタロット犬ぞりレースthe Iditarod dogsled raceが1973年から毎年3月に開催されています。最も険しい区間のリーダー犬バルトの銅像は、ニューヨーク・マンハッタンのセントラルパークに残されています。
http://www.easter.ne.jp/privatecafe/balto2.htm

 


 

日本でのジフテリアは?

1945年の日本のジフテリア患者届け出数は、約8万6千人(うち約1/10が死亡)ありました。
1948年にジフテリア単味ワクチン(D)が開始され、1968年以降は破傷風トキソイド(T)の加わったDPTが、定期予防接種に採用されました。
ワクチン接種の普及に伴いジフテリアは激減し、1988~1997年は33人(うち死亡1)と著しく減少しています。

 旧ソ連圏では、かつてはワクチンによってジフテリア患者数は極めて少数でした。
 政権崩壊のあおりを受けてワクチンの供給不足、あるいはワクチンの安定性の低下によってジフテリアが再び流行してしまいました。
1990~1995年で125,000人の患者が発生し、4,000人以上が死亡したのです。
 国際協力によるワクチンの接種強化により、旧ソ連でのジフテリアは再び減少しました。
このことは、現在でも予防接種が十分でなければジフテリアが流行するかも知れないことを示しています。

 

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百日咳はどんな病気ですか?
乳幼児では呼吸が止まる百日咳


 百日咳は、感冒症状が1~2週間続いたあと、連続性の激しい咳が発作性に起こります。
 咳発作のあとに急に息をすうので吸気性の笛のような音をだします。
 咳のないときは全く正常の状態なことが他の呼吸器の病気と違います。
おとなでは、百日続く咳か軽いカゼ症状だけですが、
 乳児では呼吸が止まり(無呼吸発作)チアノーゼとなり、10人に1人以上が死亡しました。現在の医療をもってしても、生後6ヶ月以下では20人に1人が死亡します。
また脳症をおこして重い後遺症をおこすこともあります。

 日本では1945年の百日咳患者数は15万2千人で1万7千人が死亡しました。
1948年から予防接種が開始されました。1970年代前半には年間1000人の患者と数人の死亡にまでさがりました。
しかし、1974年に2名がワクチン接種後ショックや脳症で死亡したことから、1975年に百日咳ワクチンが一時中止されました。
すると1975年~1979年に百日咳の大流行が起こり3万人の患者と113名の死亡者がでました。
1981年に副反応の少ない無菌体百日咳ワクチンが開発されて接種が再開され、現在は患者数は激減し年間数例の死亡者で多くは2歳未満です

破傷風はどんな病気ですか?


現在も年間50人近くの人がかかり、3人に1人が死亡する破傷風

 破傷風菌は土のあるところにはどこにでもいる細菌です。傷口から菌が入り、毒素を産生し中枢神経をおかします。動物に噛まれた、自分で不十分な消毒のままピアスの穴をあけたなどから感染した報告があります。潜伏期は4~12日で、最初は口が開けにくく、しゃべりにくくなり、顔の筋肉がけいれんして笑ったような表情になります。数日以内に全身がガクガクする大きなけいれんをします。この時のけいれんは日光や騒音のような軽い刺激でもおこります。ひどくなると死亡します。
 手塚治虫作ブラックジャックの「道すがら」に破傷風の正確な描写があります。

 日本での破傷風は?

1950年には破傷風の報告患者数1,915人、死亡者数1,558人と8割が死亡していました。1968年からジフテリア・百日咳・破傷風混合ワクチン(DTP)の定期予防接種が開始されました。
 以後、破傷風の患者・死亡者数は減少し、1991年以降は1年間に30~50人、その95%以上が30才以上の成人、約3人に1人は死亡しています。
 現在でも危険な病気です。
 


麻疹はどんな病気ですか?

麻疹(はしか)は40度近い高熱が,1週間から10日間続きます。
 麻疹に効く薬はないので、解熱剤などの症状を軽くする薬を使い、水分を十分にとるようにし、安静にして病気が自然に治るのを待つことになります。入院となる人も少なくありません。
 麻疹ウイルスが脳に入ると麻疹脳炎という状態になり、意識がなくなりけいれんし、死亡することも、知恵おくれなどの後遺症が残ることもあります。
 熱が下がった後も、約1ヶ月は抵抗力が弱る(免疫不全の状態になる)ため、細菌性の肺炎や中耳炎を合併することもしばしばです。この合併症には抗生物質が効くことが多いのですが、治りにくいこともあります。


日本での麻疹は?
                   
1999年沖縄で麻疹(はしか)の流行があり、2000人の患者と8名の死亡がありました。
1999年の葛飾区周辺での流行でも麻疹患者145名中、死亡2名(1名は呼吸不全、1名は肝不全)と報告されています。(小児感染免疫14(1);9ー15、2002)
2001年には日本全体で20万人以上の麻疹患者と麻疹に関連して80名以上の死亡がありました。死亡のほとんどは4歳以下ですが、北海道では17歳の高校生も死亡しています。
2003年には大学や高校で集団感染が相次ぎました。(2003年7月5日朝日新聞)
 浜松でも2001年秋から2002年春に200人近くが入院しました。
2007年関東の大学生を中心に麻疹が流行し、社会問題になりました。10代20代の人は麻疹ワクチン接種が1回で接種率も80%くらいと低かったためでした。
2007年5月修学旅行中の都内私立女子高校生がカナダで麻疹を発症し、同校の免疫のない41名は帰国便の搭乗を拒否されました。他にも、日本人を発端とした欧米での麻疹騒ぎがいくつかあり、日本は麻疹対策の遅れた後進国、麻疹輸出国と非難されました。欧米では麻疹ワクチン2回接種を徹底していて、麻疹は存在しない病気でした。
その後、日本でもワクチンの2回接種を徹底し、大学の入学時に予防接種歴を確認するところが増え、また行政も麻疹の患者さんは全例詳しく調査するようになりました。すると麻疹患者は激減し、2008年の患者数1万1千人もあったのに、2015年には国内の発生は0になりました。最近の麻疹の患者さんは外国人が持ち込むか、外国で感染した人です。


麻疹について参考になるものは?


アメリカの麻疹のドラマ、ER緊急救命室第7シーズン14話(通算 149話)「森の中の散歩」に麻疹肺炎から呼吸不全となり死亡する4歳児の話がでてきます。予防接種の徹底実行で、麻疹が幻の病となっているアメリカでは、診断がなかなか思いつかず、麻疹を疑ったとたん医療関係者が非常に恐ろしい病気として避けようとします。

 コミック村上もとか「JIN-仁」2巻(集英社ジャンプコミックスデラックス)に江戸時代には「命定め」と恐れられた麻疹の様子が描写されています。史実では、徳川綱吉とその奥方も麻疹で死亡しています。

朝日新聞・天声人語 2002年6月2日は麻疹の話題、熊本大学・粂和彦先生のコメントが引用されています。それについてのHPは麻疹に詳しく参考になります。
http://www.k-net.org/opinions/measles.html